ササンマスターのひとりごと


by sasunsasun
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1910年スコピア(現マケドニア)の
カトリック教徒家庭の子供として生まれた。

カトリックの修道女としてインドの修練院に送られた後、
カルカッタにあるカトリック系の学校で教師としての生活を送る。

36歳のとき、黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で「神の召命」を受け、
修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意。

以後、貧民街に学校を建てたのを最初に、
路上で死にそうになっている人の最期をみとるための施設
「死を待つ人々の家」
の開設や、孤児のための施設
「聖なる子供の家」
を開設するなど、貧しい人々のために愛をささげる。

だれもが知っているマザー・テレサその人。

そのカルカッタのマザー・テレサの元を90年ある日本の高校3年生が訪れた。
家は美容院を営んでおり、当時、家業を継ぐか社会福祉の道に進むか迷っていたそうだ。

そしてはるばる訪れた高校生に、マザーはこう言った。
「豊かな国で育った皆さんは、お金を掛けてインドに来ることが出来る。
ありがたいけれど、周りの人にも目を向けてほしい。
近くの人に力を貸し、幸せにすることに意味があるのです。」

その高校生は美容師になり、再び訪れたカルカッタの孤児院で
散髪のボランティアをしたという。

美容師という仕事を通じて、自分のできることが人の力となり、
お互いがお互いを必要とすることでさまざまな仕事が存在し、
成立することを体で知った。

そう、自分の選んだ仕事には近くの人に手を貸し
まわりの人を幸せにできる存在意義がある。

それを知った高校生は今どんな美容師になっているのだろう。

自分たち大人は毎日の忙しさに大事なことを忘れていないだろうか?
今の仕事はきっとどこかで人を幸せにできている、そう信じて頑張りたい。
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by sasunsasun | 2007-09-20 16:40 | Comments(0)

敬老の日

今日は敬老の日

「老人を敬愛し、長寿(ちょうじゅ)を祝う」国民の祝日です。
元々は1954年に「としよりの日」という名前で制定されたのですが、
この名前はちょっとひどいのではないかということになり
1964年に「敬老の日」に改められました。
そして1966年に国民の祝日となりました。

さて、本日はお店が営業なので
休みの昨日に実家を訪ねてきました。

81の母が一人暮らしております。

娘と一緒にいってきました。
子供からお祝いをしてもらうのも嬉しいでしょうが
孫からもらうお祝いはひとしをでしょうから。

来週はお彼岸でお墓参りをしてこようと思っております。
親を敬い先祖を大切にする
そんなことが当たり前になるように、そしてそれが子供たちにも受け継がれるように
日本の心を大切にできたらいいなぁ そう思っております。
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by sasunsasun | 2007-09-17 16:32 | Comments(0)
安倍さんの辞意表明後
政治の空白が続く国会。

麻生さんでも福田さんでも
国民のひとりとして中途半端なことをせず
国民の不安をおさめる方向で尽力していただきたと願うばかりです。

政治の綱引きや政党の都合は国民が望むところではないはずです。

言志録にこのようなことばがあります。

 晦に処る者は能く顕を見、顕に拠る者は晦を見ず。(言志後録64条)

 かいに おるものは よく けんを み、 けんに よる ものは かいを みず。

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「暗い場所にいる者は明るい場所がよく見えるが、
明るい場所にいる者は暗い場所が見えない。」
というこの言葉は、いろいろな意味に深読みすることができます。

 文庫本では付記がつけられていて、
「下から上はよく見えるが、上に立つと下が見えにくい」と、
上下関係での心の見え方と解する例が紹介されています。

 「人生という舞台で、スポットライトがあたる場所を人は切望するが、
いざその場に立つようになると、往々にして日陰者の気持ちがわからなくなる。」
という意味で捉えています。

 また、身近で話題になった時には「不遇な時ほど、
何が幸せか良くわかる。」という意味合いで話し合っていました。

 人によってものの見方は違っています。

 同じ人であっても、立場や環境が変わると、また見方は変わってきます。

自分たちばかりをみることなく、国民に目を向けてくださるようお願いしたいものです。

 
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by sasunsasun | 2007-09-15 13:05 | Comments(0)

東井義雄先生

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みなさんは
東井義雄という人をご存知でしょうか?

私は、とある本の中で知るまで、
名前さえ聞いたことがありませんでした。

教育に携わる人で知らない人はいない
と言われる先生だそうです。

子供がすでに高校生になり
将来、教育界で頑張りたい
と目標を話してくれた時から
親として気にしてきた中で出会った方。

東井義雄氏
森信三先生をして国の宝と言わしめた人の半生は壮絶としかいえないと思います。

幼くして母を無くし、父親の借金のかたに全てを奪われ
大変貧しい生活の中、教育への思いを苦学の末に叶え 生涯、一地方の初等教育に尽力した人。

私生活でも決して恵まれることはなく
思いを継いで教師となった息子も学校で倒れ
植物人間になったまま、自身も大病に倒れ
不慮の災難でその生涯を閉じるまでの79年間
子供の教育にその全てを捧げた。

しかし、その境遇を恨むことなく
全てに感謝の心を忘れなかった東井先生
自分には人としても、とうてい追いつけない
足元にも及ばない。

だからこそ、何か憧れのような感情が出るのかもしれません。

実話として、こんな話があります

とある学校でクラス対抗リレーがありました。
あるクラスで3人まで決まったのですが、
あと1人が決まらなかった。

その時に、あれがいいやとみんなが言い出して決めたのが、
A君という身体不自由の生徒でした。
なぜかといえば、変な格好で泳ぐのを見てみんなで笑ってやろうという、
そういうことでした。

非常にその学校は荒れていたようです。
さて、そのクラス対抗リレーの当日、三人が泳いで、
最後にA君が飛び込んで泳いだ。
皆が笑った。

ブザマな格好で泳いでいるA君を見て、皆が笑った。

その時に、背広を着たまんま、プールに飛び込んで、
そのA君の横について、
「しっかりしろ、もう少しだ、がんばれ」
というふうに励まし続けた人がいました。

それが東井義雄校長でした。
その生徒がゴールにたどり着いた時には、
今まであざけっていた人が粛然として、
誰一人声を出すものがいませんでした。


最後に先生の詩を掲載しておきたいと思います。

「川は岸のために 流れているのではない」
   
    川は
    岸のために流れているのではない
    川のために 岸ができているのである
    
    わかり切ったことである
    それだのに
    
    教師の考え
    学校の方針にあわない子どもを
    「悪い子」「問題の子」「困った子」として
    切り捨ててしまう風潮が横行しているのはどういうことか
    子どものために「教師」があるのである
    子どものために「学校」があるのである
    
    「できない子」のための岸になろう
    「困った子」のための岸になろう
    そして
    ともどもに
    「心理」「真実」の海を目指そう
    そういう教師になろう
    そういく学校を創ろう
    川は岸のために流れているのではないのだから


こんな先生が今の教育界にいたなら、
ゆとり教育にゆがむこともなく
子供たちに歩むべき道を指し示してくれただろうに
 と思うのは私だけなのでしょうか。
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by sasunsasun | 2007-09-12 18:18 | Comments(0)
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一燈を提げて暗夜を行く。
暗夜を憂うること勿れ。
 只だ一燈を頼め。
 (言志晩録13条)

いっとうをさげて あんやをゆく。 
あんやを うれうること なかれ。 
ただ いっとうを たのめ。


夜と言ってももさまざまあります。
月の出ている明るい夜もあるでしょう。
かたや新月で一寸先も見えない闇夜もあるでしょう。
足元も見えない真っ暗な夜は、歩くのも怖くなります。
そんな一寸先のことも判らない闇夜のようなものが「人生」で、
人はそれをたったひとつの灯りだけを頼りに歩いていくものなのでしょう。

 ここで言う「暗夜」とは、ただ暗い夜という意味だけではなさそうです。
闇夜のような人生には、いらだちや憎しみ、嫉妬や絶望、
自分をさいなむ様々なものが潜んでいます。
もし一言でいうならば「苦境」とでもなるのでしょうか。

 「それでも」と、佐藤一斎は語ります。
「自分の周りが闇夜(苦境)であることを悲しむのではなく、
心にひとつの灯りを掲げて生きよ」と。

 佐藤一斎は「一燈」を「志」の意味で語ったのだろうと思います。
「志」は大抵、我欲や執着を離れた純粋な願いのようなものですから、
掲げる灯りの中でも最も明るく道を照らすことでしょう。

私もこうありたいと思うのですが、
なかなか明確な「志」は立てきれていない現状です。

 道を照らす「一燈」は人によって違うでしょう。
ある人には「愛」だったり、ある人には「夢」だったり、
ある人には「希望」だったり。

どんなものでも良いと思います。
それが暗夜を行く力を与えてくれるものであれば。
 
                        「あんずの森より」
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by sasunsasun | 2007-09-05 18:27 | Comments(0)